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JB Press 2013.12.03(火) 姫田 小夏
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39328
空気よりも汚れている中国の土と水懸念される公害病、頼みの綱は日本の技術だが
2013年8月、中国メディアの「消費者報道」が、ある日本人を取り上げた。
記事のタイトルは
「鈴木喜計;中国急需为土壤污染立法(鈴木喜計さん;中国は土地汚染の立法化を急げ)」。
日本人専門家が中国の土壌汚染に警鐘を鳴らすという内容であった。
2012年の反日デモ以来、中国メディアが日本人を取り上げるケースは少なくなった。
ましてや大国意識を強める中国が、日本の経験に学ぶという姿勢はなおさら希薄だ。
そんななかで、このインタビューは、中国の土壌汚染を克服するために日本の技術や経験に学ぼうという意図を含む、昨今珍しい記事でもあった。
千葉県木更津市で「君津システム」という会社を経営する鈴木喜計(すずき・よしかず)さんは、公害問題の専門家でもある。
特に土壌・地下水汚染の分野では、独自の調査・浄化手法を自ら開発、体系化し、学会や行政プログラムを通じて3000人を超える国内外の研究者・技術者を輩出している。
また、環境地質学を創造した研究者であり、国内外で150を超える汚染現場の完全浄化を果たした「土壌・地下水汚染の調査と浄化の第一人者」である。
日本では2003年から「土壌汚染対策法」が施行されたが、この立法化にも尽力した。
■「こりゃダメだ」と思った肥料工場跡地
鈴木さんの調査研究や技術開発は、今や中国も注目するところとなっている。
「消費者報道」の記事は、鈴木さんが2008年に広東省の肥料工場の跡地を訪れたときの様子を取り上げている。
この土地は、中国最大手のデベロッパー、万科企業がマンション開発をした敷地で、汚染された土地の上で進行する建設をめぐり住民との対立が続いていた。
記事は、汚染状況を測定した鈴木さんを次のように描写した。
「土壌の表層から深さ9メートルに達したとき、鈴木氏に驚きの表情が表れた」
その土地の汚染はどれほどのものだったのか。
筆者は木更津市の鈴木さんを訪ねた。
鈴木さんは具体的な数値こそ明かさなかったが、そのときの様子を次のように語った。
「こりゃダメだ、と思いましたね。
その土中からはベンゼンなどの化合物が検出されましたが、これは白血病の原因ともなります。
それ以外にPCB(ポリ塩化ビフェニル)や農薬も検出されました。
土壌汚染には、下から上がってくる揮発性の有機化合物もあれば、水中に溶け出す重金属類もあります。
けれども、中国政府が問題視しているのは重金属類だけ。
土壌汚染を規制する法律もなければ、基準値もないに等しい状況なのです」
■中国の国土は10%が汚染されている
中国では、ブルドーザーが土地を整地してどんどんマンションを建てているが、
都市部のマンション用の土地は、大半がもともとは工場用地だと言っていい。
近年は工業用地の多くがマンション用地に転用され、多くの住民は汚染の上での生活を余儀なくされている。
そのため「中国のマンションの多くは土台そのものが汚染されています」(鈴木さん)という。
この問題は広東省だけに限った話ではない。
上海もまた同じである。
上海の中心市街地は立派な高層マンション群と化したが、エリアによっては化学工場の集積地だったところもある。
今では日本人も多く住む高級住宅地と化した長寧区北部も、ほんの10年ほど前には異臭を放つ化学工場が点在していた。
デベロッパーは工場跡地の土地使用権を落札し、そこに次々と高層マンションを建設した。
だが、土壌汚染の浄化は義務ではなかった。
一説によれば、中国は国土(960万平方キロメートル)の10分の1がすでに汚染されているという。
汚染は中国北部よりも南部がより深刻で、特に長江デルタや珠江デルタなどの工場集積地の汚染は甚大なものとなっている。
長江の入り江に位置する上海市の崇明島にはこんなエピソードがある。
ここは世界最大の三角州であり、もともと工場立地がなかったことから、2000年代前半に有機栽培の一大拠点にしようというプロジェクトが持ち上がった。
日本のJTなども関心を示していたが、結局頓挫した。
「土壌を検査したところ、重金属類がたっぷりと検出された」(当時の関係者)のである。
上流から土砂が運ばれてくるデルタ地帯ならではの悲運であった。
■社会問題になっている“暗溝”
中国ではここ数年、PM2.5をはじめとする大気汚染が問題視されているが、実は水質汚染や土壌汚染の方がさらに深刻な状況だ。
2010年に全国的に土壌汚染の調査を行ったが、その結果はいまだ公表されていない。
現地の専門家は「おそらく、公表できないほどひどい結果だったのだろう」と見ている。
水質汚染に関しては、今年、工場排水が大問題になった。
きっかけは山東省の、汚水を土中に流し込む企業を住民がネット上で告発したことだ。
化学工場や食品工場、製紙工場など多くの企業が「排水を高圧で地中に流し込んでいる」という嫌疑が持たれた。
これ以外にも、中国では全国的に「暗溝(angou)」と呼ばれる工場から延びる怪しげな溝が問題になっている。
言わずもがな、これは違法排水のためのものである。
江蘇省で工場排水の浄水に携わる中国人エンジニアはこうコメントする。
「工場排水はようやく厳しい取り締まりの対象となり、一度貯水タンクで浄化してから排出するという義務が課されるようになりました。
しかし、これに費用や時間を割くことを嫌がる工場経営者が、こうした溝を勝手に掘って工場用水を排出しています。
この“暗溝”と呼ばれる排水溝が最近社会問題になってきています」
日本では高度経済成長期に公害が深刻な社会問題となった。
熊本県水俣市では化学メーカー、チッソの工場排水に汚染された魚を食べた地元住民らがいまなお水俣病と闘っている。
江蘇省、浙江省などの工業地帯では湖沼を利用した魚やエビ、カニの養殖も盛んだが、食物連鎖による人体への悪影響が今後顕在化するのではないかと懸念される。
農薬による農産物の汚染も問題だ。
広東省では“カドミウム米”が問題になっている。
まさにイタイイタイ病の前兆である。
イタイイタイ病は神通川下流の富山県で多発した公害病だ。
カドミウム汚染地域で生産された米などの農産物を摂取した周辺住民がイタイイタイ病に苦しめられた。
鈴木さんは次のように話す。
「中国では、すでに全国規模で農地が重金属類と農薬で汚染されています。
その1つの要因は“河川”にあります。
日本の河川は山地から流れ出し、海へと到達する距離が短く高低差があるため、汚染物質をあまり残しません。
一方、中国の川は距離が長く勾配がありません。
そのため、重金属類などの汚れがどんどん河床に溜まっていきます。
そうやって汚染された川の水が農業用水、生活用水として使われているのです」
「また中国の農薬は半減期(土壌中の濃度が半減する期間)が問題です。
日本では半減期を最大で半年と設定していますが、中国の場合は基準が曖昧なのです」
こうした汚染は、日本で生活する日本人にとっても無縁ではない。
鈴木さんは続ける。
「中国の農産物を輸入する際、残留農薬をチェックすることはできても、植物体に取り込まれた重金属類までは検査していません」
■やっぱり必要な日本からのサポート
中国では大気汚染の解決がようやく国家的課題となったようだが、土壌汚染との闘いはこれからだ。
そこに必要とされるのが日本のサポートである。
前述のように、日本でもかつては企業が工業排水を海や川に垂れ流し、また土中に穴を掘って埋めていた。
だが、公害反対運動を経て1967年に公害対策基本法が制定され、それに続き大気汚染防止法(68年)、水質汚濁防止法(70年)、悪臭防止法(71年)などが立法化された。
1975年には民間の公害防止関連投資額は約9650億円に達した。
GNPの2%に相当する世界でも例を見ない莫大な投資であった。
こうした過程で蓄積した技術と経験によって、現在の世界一の環境保全技術が出来上がったのである。
その後、経済協力開発機構(OECD)や国連が各国に対しGNPの2%を公害対策費用に充てることを提唱しているが、
これは日本にならったものである。
調査研究や技術開発で中国でも名を知られる鈴木さんのもとには、中国地方政府からの訪問や技術サポートの要請もある。
それに応じて鈴木さんは何度も中国を訪れた。
筆者は、中国の土壌汚染を解決するために、今後どんな取り組みを行っていくのかを鈴木さんに尋ねてみた。
だが、返ってきたのは意外な返事だった。
「中国でやるつもりはありません」
その理由を鈴木さんは次のように打ち明けた。
「正確に言えば、数年前までは中国に対して自分の経験やノウハウを教えたいと思っていました。
日本が犯した間違いはやるなよ、と啓発したかった。
けれども、その考えは変わってしまいました」
鈴木氏の考えを変えてしまったのは、鈴木さんを訪ねて来日したある地方政府の役人の一言だったという。
「私たちはしょせん3年しか任期がありません。
その間に注目を浴び拍手喝采される事例を1つでも作れればいいんです」
この役人、うっかり本音を漏らしてしまったようである。
だが、鈴木さんはその程度の考えでしかないことを知り、愕然とした。
中国の役人にとって土壌汚染は他人事でしかない。
汚染されているのは祖国の国土なのに、“国土防衛”をなぜ日本人がやらなければならないのか。
役人たちは表向きは確かに一生懸命だ。
だが、それは在任期間だけで、自分が離れてしまえばあとはあずかり知らぬこと、というわけだ。
■土地は国家の所有物
さらに根本的な問題がある。
それは、土地が誰のものなのかはっきりしないということだ。
土地を本格的に浄化しようとした場合、これが決定的な阻害要因となる。
例えばドイツでは「状態概念」という考え方があり、汚染した土壌を放置しているだけで土地所有者は罪に問われる。
アメリカでは、かつて「スーパーファンド法」により、土壌を汚染した者(工場経営者など)に対して浄化を勧告し、二度勧告に従わなければ収監し、さらに汚染をもたらした企業に融資を行った金融業者などにまで連帯責任を負わせるなど、厳しい措置を講じていた。
日本の土壌汚染対策法(2003年施行、2010年大幅改正)はこれよりは緩い。
有害物質を使用した工場が操業を廃止した段階で調査義務を課し、取引を活性化したければ土地所有者が土壌を浄化せよ、ということになる。
だが、いずれにしても「汚染原因者、土地所有者、関連企業の代表者が浄化の責任を負う」という意味では、日本も含めて先進国で共通しているのである。
しかし中国は、土地は国家のものであり、民間にはその“使用権”が与えられているに過ぎない。
その土地の土壌汚染は「誰の責任か」すらも問えない状況なのだ。
しかも、土壌汚染に対しては明確な法律法規も基準値もない。すなわち「どういう状態が汚染なのか」の定義付けすらできないのだ。鈴木さんが「やるつもりはない」と言うのには、“インフラ”がなさすぎて「やろうにもやれない」という事情もある。
中国国民は立ち上がれるか
さて、中国では「改革開放政策」導入から三十余年が過ぎた。
それは、日本企業を含む外国資本の技術や経験によって成し遂げられた経済成長の歴史でもある。
一方で中国には、手っ取り早く、かつできるだけ安く「最新」の技術を外国から取り入れる習慣ができてしまった。
土壌汚染の解決についても自国での研究開発を行わず、外資頼みである。
その発想は従来と変わらない。
しかし、そのやり方が本当に中国のためになっているのかは大いに疑問だ。
こと公害問題については、もっと中国国民が強く抗議の意を示して企業や政府と戦わない限り、解決の糸口はつかめないだろう。
日本では、公害病で肉親を失い怒りを爆発させた一般市民が政府を突き動かし、ようやく公害対策法を勝ち得ることができた。
公害対策法は、それまで「発展」「成長」だけを掲げて突き進んできた企業を存続の危機に追い込んだ。
公害対策をしなければ生き延びられない――、そこから死に物狂いの企業努力が始まったのである。
中国にはそれがない。
それどころか、自分の利益に結び付かないことには誰もが他人事なのだ。
今まで日本は中国に“与えすぎた”のかもしれない。
日本にとって環境技術は中国市場を開拓する最後のカードとも見なされている。
しかし、中国を変える主体は日本の技術でも外資の力でもなく、あくまでも中国人自身であるべきだろう。
姫田 小夏 Konatsu Himeda
中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」を主宰。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動をう。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。
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