●.2日、米ブルームバーグ通信はこのほど、記事「2014アジアで注目すべき4つの動向」を掲載、日中間の紛争を予測した。写真は日本製品ボイコットを呼びかける画像。
『
「WEDGE Infinity」2013年12月31日(Tue) 岡崎研究所
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3463
今後50年間で中国が戦わなければならない「6つの戦争」
豪州戦略政策研究所(ASPI)のブログ・サイトThe Strategistの11月26日付けに、豪州国立大学(ANU)のウェイド客員研究員が、中国がメディアを通して、反米感情を煽ったり、領土拡張を訴えたりしている現状を紹介して、警告を発しています。
すなわち、中国の新書
『中国は恐れない――国家安全保障への新脅威と戦略対応』
は、人民解放軍の戦略の一部として、軍人か否かを問わず国内の精神的引き締めを行なうと共に、中国の行動を規制する外国勢力を牽制するものである。
その他にも、人民解放軍が係ったと思われる映画と通信社の記事にも、同様の分析が成り立つ。
中国の映画『静かなる競争』は、10月に中国及び世界のネットに上がるや否や論争を呼んだ。
そして、その月の末までには、何の告知もなく、映画は中国のサイトからは削除された。
ただ、他のサイトでは見ることが出来る。
映画は、米国が、5つの方法によって中国政府を転覆させようとしている様子を描いている。
その方法とは、
(1).政治的に中国を弱体化させる、
(2).文化的浸透を図る、
(3).思想戦をしかける、
(4).諜報部隊を訓練する、及び
(5).中国国内の反体制派を強化すること、
である。
全体としては、米国が中国を支配下に置こうとしているということを伝えたいようだ。
映画を見た中国国内の軍人や民間人は、侮辱された感情と怒りを持つだろう内容である。
映画の製作に人民解放軍は密接に係った。
具体的には、国防大学、中国社会科学院、及び、国家安全部の管轄にある現代国際関係研究院が、今年初めに映画の製作に関与した。
これは、確かに、米国のアジア回帰に対応したものであるが、より深い根本原因もあるだろう。
これだけ権威ある中国の諸機関が映画製作に携わったということは、そこで示された極端な感情が人民解放軍のタカ派に限られたものではないことを表す。
今年7月には、更に問題となる領土回復主義の記事が、中国新聞網のサイトに掲載された。
この記事は、
「今後50年間に中国が戦わなければならない6つの戦争」
という題名で、人民解放軍の一部に見られる超国粋主義の態度を示している。
しかし、このような記事が中国国営通信社に掲載されるという事実から、これが指導部で認められた考えであることが想像出来る。
6つの「不可避な」戦争は、時系列で示されている。
(1).台湾統一戦争(2020-2025年)、
(2).南シナ海の様々な諸島の領土回復戦争(2025-2030年)、
(3).チベット南部の領土回復戦争(2035-2040年)、
(4).釣魚島及び琉球諸島回復戦争(2040-2045年)、
(5).外蒙古統一戦争(2045-2050年)、
(6).ロシアに奪取された領土の回復戦争(2055-2060年)
である。
台湾に関しては、中国は、武力行使の手段を放棄したことはなく、具体的時期が示されたことも今まではなかった。
偶然ではあるが、丁度、台湾軍が、中国は2020年までに台湾を併合する軍事的能力を有するだろう、と発表したばかりである。
南シナ海に関しては、現在のいざこざが戦争に発展することは想像に難くない。
3つ目の中国によるインドのArunachal Pradesh州への領有権の主張は、何十年も中印関係の棘であったが、中国がヒマラヤのチベット文化圏のどこまでを勢力圏として主張しているかは、今だ明らかにされていない。
尖閣諸島に対する中国の領有権の主張は、最近よく報道されるので、その状況が戦争に発展するのにさほどの想像は必要としない。
直近の中国による防空識別圏設定は、緊張を高めるだろう。
また、モンゴルが清王朝から継承した土地に関しても、中国は領有権を主張している。
ロシアの極東地域についても同様で、多くの中国人は、そこはロシアが不当に占拠したものだと思っている。
上記の戦争は、現在の中国の政策で裏付けされたものでもなければ、極端な超国粋主義者の見解にすぎないかもしれない。
しかし、戦争によって領土を回復しなければならないという主張は、長い間中国で言われてきたことであるし、中国政府公認の1938年「中国の屈辱」地図は、上記記事が主張する領土と驚くほど一致している。
この地図の中国が「失った」領土には、ロシア極東、琉球諸島、台湾及び南シナ海のみならず、韓国、ヴェトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー、マレー半島とシンガポール、ネパール、パキスタンの一部及び中央アジアの殆どが含まれている。
中国の主張する領土が、今日の中国の国境を超えて70年以上前に遡ることや、中国の超国粋主義者の言い分を読むにつけ、我々は、これらの地域に住む人々が、恐怖を感じたり危険に晒されたりすることがないようにしなければならないだろう、と論じています。
* * *
中国の戦略は、中長期的です。
上記の論説で紹介された記事のように、50年間で6つも戦争をしかけては中国ももたないと思いますが、中国人民解放軍は、ハードな軍事戦争のみならず、「三戦」(心理戦、情報戦、法律戦)と呼ばれるソフトな戦争もしかけます。
更に、今日では、経済や文化も重要な手段となり、人海戦術も活用しています。
5カ年計画、10カ年計画は、中国共産党の一政権の期間であり、中国にとっての中期、長期は、50年、100年の戦略計画となります。
欧米や日本等の民主主義国は、単年度予算かつ政権も4年位の任期で(最近まで日本の政権は1年位でした)、中長期は、5~10年の計画となります。
今後、ますます強大化する中国と、どのように付き合って行くべきなのでしょうか。
より長期的視点と、様々な分野を複合化した戦略が必要となるでしょう。
』
『
JB Press 2014.01.07(火)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39594
日清戦争から120年、
「宿命的な対決」は起きてしまうのか?
新たな1年の始まりは誰でも希望に満ちた明るい未来を願うものだ。
しかし、2014年の日中関係は重苦しい空気を背負っての幕開けとなった。
年末から年明けにかけて、中国では対日批判が高まり、「今年こそは」と期待された日中関係改善もすっかり遠のいてしまった。
安倍晋三首相による靖国神社への参拝は、中韓による反発を強めただけではなく、国際社会に驚きと「失望」をもたらした。
■ますます遠のいた日中首脳会談
参拝の翌日に当たる12月27日、中国外交部スポークスマンは
「日本の首相の弁解は信憑性に欠け、まともに反駁する価値すらない。
昨日(26日)の詭弁のみならず、この1年の様々な言行は虚偽でありでたらめであり、自己矛盾するものだ」
と語気を強めた。
12月30日、在日中国大使館の程永華大使は毎日新聞に「『不戦の誓い』は場所が違う」と題した署名原稿を発表し、安倍首相の靖国神社参拝を強く批判。
中国のメディアもこれを紹介した。
中国メディアは、
「われわれはドイツの政治家が、自らの独特の死生観、宗教観を理由にヒトラーを含む戦争狂が死をもって罪をあがなったとして、墓を建て参拝したといったことは聞いたことがない」
という文中の一節を取り上げ、ドイツの戦後処理を間接的に評価した。
ちなみにドイツ政府のステファン・ザイベルト報道官は、安倍首相の靖国参拝について記者から問われ、
「すべての国は、20世紀に発生した残酷な事件で、自分たちがしたことに対して正直に責任を取るべきだ」
と忠告を与えた。
2013年の大晦日、中国は
「日本との首脳会談には応じない」
「安倍は自分で会談の扉を閉めた」
と断じた。
新しい年が明けても、この問題はくすぶり続けている。
中国のネット上では「戦争」という文字もちらつくようになった。
■いまも消えない「日本帝国主義」への怨念
中国共産党の機関紙「環球時報」は、「1894年、1954年、2014年は中国の3つの甲午の年」という見出しの記事を掲載した。
冒頭には「120年前の1894年、甲午戦争が勃発した」とある。
ちなみに1954年は、中国で憲法が制定された年であり工業化がスタートした年でもある。
「甲午戦争」とは日清戦争を意味する中国語だ。
記事は
「(甲午戦争で)中国は日本に惨敗した。
今日の中日間の敵対は、我々にとっての最大なる外部からの挑戦であり、この2つの甲午の年を、中国人はいやがおうでも対比せざるを得ない」
と記している。
ここで日清戦争を振り返ってみたい。
日本の高校の歴史教科書「詳説日本史」(山川出版社)には、日清戦争はおよそ次のように描写されている。
「1894年、朝鮮で甲午農民戦争が起こると、清国は朝鮮政府の要請を受けて出兵するとともに、日本もこれに対抗して出兵した。
同年8月、日本は清国に宣戦を布告し、日清戦争が始まった」
「戦いは日本の勝利に終わり、1895年4月、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権鴻李章とのあいだで下関条約が結ばれて講和が成立した。
その内容は、
(1)清国は朝鮮の独立を認め、
(2)遼東半島および台湾・澎湖諸島を日本に譲り、
(3)賠償金2億両、
(4)新たに沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開くこと、
などであった」
中国人からすれば、日清戦争とはまさに列強による中国分割の幕開けであった。
中華中心主義(シノセントリズム)を標榜し、世界における至高の地位だと自認してきた中国にとって、日清戦争の敗北はかつてない危機との遭遇であり、歴史上の汚点ともなった。
同時に、日清戦争の惨敗から近代中国の民族主義が覚醒することになる。
中国の多くの学者は
「甲午戦争が中国近代史の重要な分水嶺となり、また中国民族主義の機運を高めることになった」
と指摘し、
「中国社会の構造転換の起点となった」
という認識を持っている(鐘文博著『甲午戦敗後近代中国民族主義的形成』)。
「侵略者」である日本の帝国主義への怨念は骨の髄まで染み込み、今もくすぶり続けている。
2014年の今年は、日清戦争が勃発した1894年からちょうど120年。
干支が2巡した甲午の年であり、中国では「宿命的な対決があってもおかしくはない」という声が広がる。
領土をめぐる対立や、政権への不満の高まりや、過剰に扇動される愛国心や民族意識など、120年前と共通する要素は確かにいくつも見受けられる。
■日本に追い付くことが目標だった中国
日清戦争の敗北と欧米列強の干渉を背景に、救国を唱え「変法運動」を起こした人物に康有為(1858~1927)や梁啓超(1873~1929)がいる(注:「変法運動」とは、1898年、清朝11代・光緒帝のもと、日本の明治維新をモデルに議会政治と立憲君主制の確立を目指した運動。西太后によるクーデター(戊戌の政変)により約100日で失敗に終わる)。
梁啓超が著した『戊戌政変記』には次のような一句がある。
「わが中国の4000余の歴史の夢が呼び覚まさせられた。
それは甲午敗戦で台湾を割譲され、二百兆(当時の邦貨にして2億両)を賠償させられた後に始まった」
ここに民族主義の覚醒を垣間見ることができるのだが、同時にこれは、習近平国家主席が唱えた「中国の夢」をも想起させる。
2012年、習近平国家主席は政権の座に就くと同時に
「中華民族の偉大な復興の中国の夢を実現させ、国家富強、民族振興を実現させる」
とのメッセージを発信した。
経済を発展させ、漢民族を奮い立たせ、諸外国に対して強い中国を示す、それは古くて新しい中国のやり方である。
近年の積極的な経済外交は、中国が古くから東アジアの国際秩序維持のために行ってきた冊封・朝貢体制を連想させる。
世界各国に「中国なしには発展しない」という認識が広がる様は、まるで21世紀の国際社会に中華中心主義が復活しているかのようだ。
さて、日清戦争の敗北にショックを受けた中国の知識分子は、国家を強くするためには日本に追い付く必要があると主張し、その基盤を「教育」に求めた。
日清戦争後に中国では日本留学の一大ブームが沸き起こる。
1896年には13人が、その後1899年には200人、1906年には1万~2万人の中国人留学生が来日したという(『中国人日本留学史』実藤恵秀著、1960年、くろしお出版)
「日本に追い付く」は100年以上の長きにわたって目標であり続けた。
1990年代前半には日本企業をはじめとする外資企業の投資と工場設立を呼び込み、積極的な技術導入を図った。
その結果、中国は経済力を蓄え、ついにはGDPで世界第2位、軍事支出でも第2位の「強大な中国」となるに至った。
ネット上では「もはや恐れるものはない」という中国人の声があふれる。
日清戦争から120年経った今、満を持して世界の覇権を握ろうという勢いだ。
2012年9月、日本が尖閣諸島を国有化した直後、中国側は繰り返し「持久戦になる」という言葉を使った。
まさしくここには歴史的屈辱に対する捲土重来の意図があり、日本と中国の国際社会における地位の逆転を見据えていると言っても過言ではない。
そして、事態は海と空での睨み合いに発展、どちらかの航空機が撃ち落とされればただちに開戦するかのような緊張感が漂っている。
■「中国の思うツボ」にはまらないための外交努力を
しかし、日本のかつての軍国主義を否定する中国が軍備増強に走るというのは、考えてみれば矛盾した行動である。
中国は、安倍政権が軍事力強化を目論んでいると責め立てるが、アジアの平和を希求するはずの中国はどうなのだろうか。
筆者が現地で感じるのは、「むしろ戦争をやりたがっているのは中国の方」ということだ。
『尖閣諸島・琉球・中国』(浦野起夫著、2005年、三和書籍)によれば、
中国は「軍事作戦を辞さないとする国民性の国家」であるという。
同著は「中国は1950年の朝鮮戦争への参戦以来、1974年1月の西沙群島の軍事回復作戦、1995年1月の南沙群島のミスチーフ環礁作戦を含めて、計11回の軍事力の対外行使を行ってきている」とし、
日本は「中国の軍事容認思考を理解できないでいる」と指摘する。
その一方で興味深いのは次のようなくだりだ。
「日本は国際紛争の解決において軍事力の行使をとっていないこともあり、中国にとり軍事力の行使の敷居がとても高い」(同著)。
そうであるとすれば、仮に戦争が起きた場合、中国は武力衝突を引き起こした原因はあくまでも日本にあると強硬に主張するだろう。
戦争では日本をいかに「平和的にやっつける」かが中国の当面の目標となる。
日本を敗北に至らせつつ、自らは平和国家としての体面を保つ。
そのために日本に「軍国主義の悪者」というレッテルを張り、「日本を退治する理由」を公然と世界にアピールするだろう。
2014年の日中関係において、日本は「中国の思うツボ」にはまらないよう細心の注意と努力が求められる。
奇しくも、安倍首相(1954年生まれ)は甲午の星のもとに生まれている。
今年は、そのいわくつきの甲午の年である。
国民は安倍外交の展開を固唾をのんで見守っている。
姫田 小夏 Konatsu Himeda
中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」を主宰。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。
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「WEDGE Infinity」2013年12月31日(Tue) 岡崎研究所
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3463
今後50年間で中国が戦わなければならない「6つの戦争」
豪州戦略政策研究所(ASPI)のブログ・サイトThe Strategistの11月26日付けに、豪州国立大学(ANU)のウェイド客員研究員が、中国がメディアを通して、反米感情を煽ったり、領土拡張を訴えたりしている現状を紹介して、警告を発しています。
すなわち、中国の新書
『中国は恐れない――国家安全保障への新脅威と戦略対応』
は、人民解放軍の戦略の一部として、軍人か否かを問わず国内の精神的引き締めを行なうと共に、中国の行動を規制する外国勢力を牽制するものである。
その他にも、人民解放軍が係ったと思われる映画と通信社の記事にも、同様の分析が成り立つ。
中国の映画『静かなる競争』は、10月に中国及び世界のネットに上がるや否や論争を呼んだ。
そして、その月の末までには、何の告知もなく、映画は中国のサイトからは削除された。
ただ、他のサイトでは見ることが出来る。
映画は、米国が、5つの方法によって中国政府を転覆させようとしている様子を描いている。
その方法とは、
(1).政治的に中国を弱体化させる、
(2).文化的浸透を図る、
(3).思想戦をしかける、
(4).諜報部隊を訓練する、及び
(5).中国国内の反体制派を強化すること、
である。
全体としては、米国が中国を支配下に置こうとしているということを伝えたいようだ。
映画を見た中国国内の軍人や民間人は、侮辱された感情と怒りを持つだろう内容である。
映画の製作に人民解放軍は密接に係った。
具体的には、国防大学、中国社会科学院、及び、国家安全部の管轄にある現代国際関係研究院が、今年初めに映画の製作に関与した。
これは、確かに、米国のアジア回帰に対応したものであるが、より深い根本原因もあるだろう。
これだけ権威ある中国の諸機関が映画製作に携わったということは、そこで示された極端な感情が人民解放軍のタカ派に限られたものではないことを表す。
今年7月には、更に問題となる領土回復主義の記事が、中国新聞網のサイトに掲載された。
この記事は、
「今後50年間に中国が戦わなければならない6つの戦争」
という題名で、人民解放軍の一部に見られる超国粋主義の態度を示している。
しかし、このような記事が中国国営通信社に掲載されるという事実から、これが指導部で認められた考えであることが想像出来る。
6つの「不可避な」戦争は、時系列で示されている。
(1).台湾統一戦争(2020-2025年)、
(2).南シナ海の様々な諸島の領土回復戦争(2025-2030年)、
(3).チベット南部の領土回復戦争(2035-2040年)、
(4).釣魚島及び琉球諸島回復戦争(2040-2045年)、
(5).外蒙古統一戦争(2045-2050年)、
(6).ロシアに奪取された領土の回復戦争(2055-2060年)
である。
台湾に関しては、中国は、武力行使の手段を放棄したことはなく、具体的時期が示されたことも今まではなかった。
偶然ではあるが、丁度、台湾軍が、中国は2020年までに台湾を併合する軍事的能力を有するだろう、と発表したばかりである。
南シナ海に関しては、現在のいざこざが戦争に発展することは想像に難くない。
3つ目の中国によるインドのArunachal Pradesh州への領有権の主張は、何十年も中印関係の棘であったが、中国がヒマラヤのチベット文化圏のどこまでを勢力圏として主張しているかは、今だ明らかにされていない。
尖閣諸島に対する中国の領有権の主張は、最近よく報道されるので、その状況が戦争に発展するのにさほどの想像は必要としない。
直近の中国による防空識別圏設定は、緊張を高めるだろう。
また、モンゴルが清王朝から継承した土地に関しても、中国は領有権を主張している。
ロシアの極東地域についても同様で、多くの中国人は、そこはロシアが不当に占拠したものだと思っている。
上記の戦争は、現在の中国の政策で裏付けされたものでもなければ、極端な超国粋主義者の見解にすぎないかもしれない。
しかし、戦争によって領土を回復しなければならないという主張は、長い間中国で言われてきたことであるし、中国政府公認の1938年「中国の屈辱」地図は、上記記事が主張する領土と驚くほど一致している。
この地図の中国が「失った」領土には、ロシア極東、琉球諸島、台湾及び南シナ海のみならず、韓国、ヴェトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー、マレー半島とシンガポール、ネパール、パキスタンの一部及び中央アジアの殆どが含まれている。
中国の主張する領土が、今日の中国の国境を超えて70年以上前に遡ることや、中国の超国粋主義者の言い分を読むにつけ、我々は、これらの地域に住む人々が、恐怖を感じたり危険に晒されたりすることがないようにしなければならないだろう、と論じています。
* * *
中国の戦略は、中長期的です。
上記の論説で紹介された記事のように、50年間で6つも戦争をしかけては中国ももたないと思いますが、中国人民解放軍は、ハードな軍事戦争のみならず、「三戦」(心理戦、情報戦、法律戦)と呼ばれるソフトな戦争もしかけます。
更に、今日では、経済や文化も重要な手段となり、人海戦術も活用しています。
5カ年計画、10カ年計画は、中国共産党の一政権の期間であり、中国にとっての中期、長期は、50年、100年の戦略計画となります。
欧米や日本等の民主主義国は、単年度予算かつ政権も4年位の任期で(最近まで日本の政権は1年位でした)、中長期は、5~10年の計画となります。
今後、ますます強大化する中国と、どのように付き合って行くべきなのでしょうか。
より長期的視点と、様々な分野を複合化した戦略が必要となるでしょう。
』
『
レコードチャイナ 配信日時:2014年1月6日 18時19分
<海外メディア>2014アジアで注目すべき4つの動向、日中間の紛争も予測―米メディア
2014年1月2日、新華網によると、米ブルームバーグ通信はこのほど、記事「2014アジアで注目すべき4つの動向」を掲載、日中間の紛争を予測した。
安倍首相の靖国参拝を受け、中国はすでに一連の報復リストを準備している。
★..日本の自動車メーカー、
★.電子輸出産業、
★.観光業
は打撃を受けるおそれがある。
①.尖閣諸島海域では実際に交戦が起き、航空機や船舶が巻き込まれる事件が発生するかもしれない。
昨年中国が設定した防空識別圏は両国の緊張をさらに高めることとなった。
一般には日中が交戦まで進むことはないと考えられているが、
この地区で緊張が高まればグローバルマーケットが影響を受ける可能性も否定できない。
このほかアジアで注目すべき動向として、
各国で高まる民衆の不満を受け、
②.何らかの大きなデモが発生する可能性や、
③.インド、インドネシア、タイなどでの指導者交代、
④.各国の国債暴落
が挙げられた。
』
『
JB Press 2014.01.07(火)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39594
日清戦争から120年、
「宿命的な対決」は起きてしまうのか?
新たな1年の始まりは誰でも希望に満ちた明るい未来を願うものだ。
しかし、2014年の日中関係は重苦しい空気を背負っての幕開けとなった。
年末から年明けにかけて、中国では対日批判が高まり、「今年こそは」と期待された日中関係改善もすっかり遠のいてしまった。
安倍晋三首相による靖国神社への参拝は、中韓による反発を強めただけではなく、国際社会に驚きと「失望」をもたらした。
■ますます遠のいた日中首脳会談
参拝の翌日に当たる12月27日、中国外交部スポークスマンは
「日本の首相の弁解は信憑性に欠け、まともに反駁する価値すらない。
昨日(26日)の詭弁のみならず、この1年の様々な言行は虚偽でありでたらめであり、自己矛盾するものだ」
と語気を強めた。
12月30日、在日中国大使館の程永華大使は毎日新聞に「『不戦の誓い』は場所が違う」と題した署名原稿を発表し、安倍首相の靖国神社参拝を強く批判。
中国のメディアもこれを紹介した。
中国メディアは、
「われわれはドイツの政治家が、自らの独特の死生観、宗教観を理由にヒトラーを含む戦争狂が死をもって罪をあがなったとして、墓を建て参拝したといったことは聞いたことがない」
という文中の一節を取り上げ、ドイツの戦後処理を間接的に評価した。
ちなみにドイツ政府のステファン・ザイベルト報道官は、安倍首相の靖国参拝について記者から問われ、
「すべての国は、20世紀に発生した残酷な事件で、自分たちがしたことに対して正直に責任を取るべきだ」
と忠告を与えた。
2013年の大晦日、中国は
「日本との首脳会談には応じない」
「安倍は自分で会談の扉を閉めた」
と断じた。
新しい年が明けても、この問題はくすぶり続けている。
中国のネット上では「戦争」という文字もちらつくようになった。
■いまも消えない「日本帝国主義」への怨念
中国共産党の機関紙「環球時報」は、「1894年、1954年、2014年は中国の3つの甲午の年」という見出しの記事を掲載した。
冒頭には「120年前の1894年、甲午戦争が勃発した」とある。
ちなみに1954年は、中国で憲法が制定された年であり工業化がスタートした年でもある。
「甲午戦争」とは日清戦争を意味する中国語だ。
記事は
「(甲午戦争で)中国は日本に惨敗した。
今日の中日間の敵対は、我々にとっての最大なる外部からの挑戦であり、この2つの甲午の年を、中国人はいやがおうでも対比せざるを得ない」
と記している。
ここで日清戦争を振り返ってみたい。
日本の高校の歴史教科書「詳説日本史」(山川出版社)には、日清戦争はおよそ次のように描写されている。
「1894年、朝鮮で甲午農民戦争が起こると、清国は朝鮮政府の要請を受けて出兵するとともに、日本もこれに対抗して出兵した。
同年8月、日本は清国に宣戦を布告し、日清戦争が始まった」
「戦いは日本の勝利に終わり、1895年4月、日本全権伊藤博文・陸奥宗光と清国全権鴻李章とのあいだで下関条約が結ばれて講和が成立した。
その内容は、
(1)清国は朝鮮の独立を認め、
(2)遼東半島および台湾・澎湖諸島を日本に譲り、
(3)賠償金2億両、
(4)新たに沙市・重慶・蘇州・杭州の4港を開くこと、
などであった」
中国人からすれば、日清戦争とはまさに列強による中国分割の幕開けであった。
中華中心主義(シノセントリズム)を標榜し、世界における至高の地位だと自認してきた中国にとって、日清戦争の敗北はかつてない危機との遭遇であり、歴史上の汚点ともなった。
同時に、日清戦争の惨敗から近代中国の民族主義が覚醒することになる。
中国の多くの学者は
「甲午戦争が中国近代史の重要な分水嶺となり、また中国民族主義の機運を高めることになった」
と指摘し、
「中国社会の構造転換の起点となった」
という認識を持っている(鐘文博著『甲午戦敗後近代中国民族主義的形成』)。
「侵略者」である日本の帝国主義への怨念は骨の髄まで染み込み、今もくすぶり続けている。
2014年の今年は、日清戦争が勃発した1894年からちょうど120年。
干支が2巡した甲午の年であり、中国では「宿命的な対決があってもおかしくはない」という声が広がる。
領土をめぐる対立や、政権への不満の高まりや、過剰に扇動される愛国心や民族意識など、120年前と共通する要素は確かにいくつも見受けられる。
■日本に追い付くことが目標だった中国
日清戦争の敗北と欧米列強の干渉を背景に、救国を唱え「変法運動」を起こした人物に康有為(1858~1927)や梁啓超(1873~1929)がいる(注:「変法運動」とは、1898年、清朝11代・光緒帝のもと、日本の明治維新をモデルに議会政治と立憲君主制の確立を目指した運動。西太后によるクーデター(戊戌の政変)により約100日で失敗に終わる)。
梁啓超が著した『戊戌政変記』には次のような一句がある。
「わが中国の4000余の歴史の夢が呼び覚まさせられた。
それは甲午敗戦で台湾を割譲され、二百兆(当時の邦貨にして2億両)を賠償させられた後に始まった」
ここに民族主義の覚醒を垣間見ることができるのだが、同時にこれは、習近平国家主席が唱えた「中国の夢」をも想起させる。
2012年、習近平国家主席は政権の座に就くと同時に
「中華民族の偉大な復興の中国の夢を実現させ、国家富強、民族振興を実現させる」
とのメッセージを発信した。
経済を発展させ、漢民族を奮い立たせ、諸外国に対して強い中国を示す、それは古くて新しい中国のやり方である。
近年の積極的な経済外交は、中国が古くから東アジアの国際秩序維持のために行ってきた冊封・朝貢体制を連想させる。
世界各国に「中国なしには発展しない」という認識が広がる様は、まるで21世紀の国際社会に中華中心主義が復活しているかのようだ。
さて、日清戦争の敗北にショックを受けた中国の知識分子は、国家を強くするためには日本に追い付く必要があると主張し、その基盤を「教育」に求めた。
日清戦争後に中国では日本留学の一大ブームが沸き起こる。
1896年には13人が、その後1899年には200人、1906年には1万~2万人の中国人留学生が来日したという(『中国人日本留学史』実藤恵秀著、1960年、くろしお出版)
「日本に追い付く」は100年以上の長きにわたって目標であり続けた。
1990年代前半には日本企業をはじめとする外資企業の投資と工場設立を呼び込み、積極的な技術導入を図った。
その結果、中国は経済力を蓄え、ついにはGDPで世界第2位、軍事支出でも第2位の「強大な中国」となるに至った。
ネット上では「もはや恐れるものはない」という中国人の声があふれる。
日清戦争から120年経った今、満を持して世界の覇権を握ろうという勢いだ。
2012年9月、日本が尖閣諸島を国有化した直後、中国側は繰り返し「持久戦になる」という言葉を使った。
まさしくここには歴史的屈辱に対する捲土重来の意図があり、日本と中国の国際社会における地位の逆転を見据えていると言っても過言ではない。
そして、事態は海と空での睨み合いに発展、どちらかの航空機が撃ち落とされればただちに開戦するかのような緊張感が漂っている。
■「中国の思うツボ」にはまらないための外交努力を
しかし、日本のかつての軍国主義を否定する中国が軍備増強に走るというのは、考えてみれば矛盾した行動である。
中国は、安倍政権が軍事力強化を目論んでいると責め立てるが、アジアの平和を希求するはずの中国はどうなのだろうか。
筆者が現地で感じるのは、「むしろ戦争をやりたがっているのは中国の方」ということだ。
『尖閣諸島・琉球・中国』(浦野起夫著、2005年、三和書籍)によれば、
中国は「軍事作戦を辞さないとする国民性の国家」であるという。
同著は「中国は1950年の朝鮮戦争への参戦以来、1974年1月の西沙群島の軍事回復作戦、1995年1月の南沙群島のミスチーフ環礁作戦を含めて、計11回の軍事力の対外行使を行ってきている」とし、
日本は「中国の軍事容認思考を理解できないでいる」と指摘する。
その一方で興味深いのは次のようなくだりだ。
「日本は国際紛争の解決において軍事力の行使をとっていないこともあり、中国にとり軍事力の行使の敷居がとても高い」(同著)。
そうであるとすれば、仮に戦争が起きた場合、中国は武力衝突を引き起こした原因はあくまでも日本にあると強硬に主張するだろう。
戦争では日本をいかに「平和的にやっつける」かが中国の当面の目標となる。
日本を敗北に至らせつつ、自らは平和国家としての体面を保つ。
そのために日本に「軍国主義の悪者」というレッテルを張り、「日本を退治する理由」を公然と世界にアピールするだろう。
2014年の日中関係において、日本は「中国の思うツボ」にはまらないよう細心の注意と努力が求められる。
奇しくも、安倍首相(1954年生まれ)は甲午の星のもとに生まれている。
今年は、そのいわくつきの甲午の年である。
国民は安倍外交の展開を固唾をのんで見守っている。
姫田 小夏 Konatsu Himeda
中国情勢ジャーナリスト。東京都出身。大学卒業後、出版社勤務等を経て97年から上海へ。翌年上海で日本語情報誌を創刊、日本企業の対中ビジネス動向を発信。2008年夏、同誌編集長を退任後、東京で「ローアングルの中国ビジネス最新情報」を提供する「アジアビズフォーラム」を主宰。現在、中国で修士課程に在籍する傍ら、「上海の都市、ひと、こころ」の変遷を追い続け、日中を往復しつつ執筆、講演活動を行う。著書に『中国で勝てる中小企業の人材戦略』(テン・ブックス)。目下、30年前に奈良毅東京外国語大学名誉教授に師事したベンガル語(バングラデシュの公用語)を鋭意復習中。
』
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